奈良の女児殺害、犯人逮捕

救いだったのは犯人が際限なしのバカだったこと。知能犯だったら逮捕されずにいたかもしれないわけで。

それにしても、最近はもてない男の行き場がなくなっているように思う。昔は不細工でも多少性格が悪くても、とりあえず周りがお見合いか何かさせて無理やりにでも夫婦にしていたと思う。もしくは女遊びをしたりとか。そうすることで性欲は解消されていたし、鬱積した気持ちも起こらなかったと思う。
そんな状態でも幼女が好きな、いわば「真性ロリータ愛好者」はごく少数だと思う。むしろそういう人になると、自分の性欲が社会的におかしいことを自覚した上で、それでもなんとか社会の規範に則った形での欲求発散を求めて小説やマンガなどを描いたり、直接的には夏の水辺や共同浴場で父親といっしょに入浴する子を遠目から見るとか、そういう方法を取っていたと思う。
弱いものへのはけ口として幼女を虐待し、その命すら奪うということは一般社会から見ても許されることではないが、むしろ本当に小さい女の子が好きなごく少数のマニアもまた怒っていると思う。

もっと怒っているのはフィギュアヲタかな。普通なフィギュアマニアはむしろ人畜無害とすらいえる。何しろ自宅とかでフィギュアを作ったり、それを観賞しているだけで幸せなんだから。むしろ現実の女の子には興味がないという人もいるくらいで、それはそれで別の問題がありそうだが、とにかく人には迷惑をかけることはほとんどない。
そんな人までいっしょくたにして、「犯人はフィギュアマニアだった」ことだけを取り上げてその趣味を批判することは間違っている。そういう批判をする評論家に「論証」について小一時間説教をしたいくらい。

最近のマスコミ報道、特にTVを見ていると、女性がペヨンジュンやらジャニーズやらにキャーキャー言ってるのは微笑ましいとか元気だとか言っておいて、ハロプロやらイエローキャブやらにがっつく男性を小ばかにしたり、あるいは気持ち悪い存在といって遠ざける傾向が強くなっているが、実におかしいし個人的に不愉快に感じる。
異質なものを排除しようとすることは、近視眼では正しいことかも知れないが、やがてそのひずみが集まって限界点を超えたときに崩壊するんじゃなかろうかと思う。それが戦争だったり差別だったり、個人や集団の暴発だったりするのかもしれない。
異質なものを尊重まではいかなくとも、存在自体を認めることは必要だと思う。