写真整理していて想う、あややへの気持ちの揺れ

http://d.hatena.ne.jp/kabutch/20061013#hellophoto

公式写真の整理はほぼ終了したので、今度は出所不明な写真の整理(謎
それで昔のあややの写真を多く眺めているのだが、やはり昔のあややは輝いてたよなぁと。

そこでふと「自分は今のあややより昔のあややの方が好きなのではないか?」という思いに駆られるのだ。

決して今のあややが嫌いだとか、そういうことではないが、昔に比べると彼女への愛情が惰性と言うか、どこか自分の気持ちに嘘をついているような感じがする。
気持ちの金属疲労、という表現もあるだろうか。

アイドルは「成長過程を楽しむもの」?

考えてみれば、その頃の彼女はどんどん成長していた。
そして、その成長を見るのが何より嬉しかった。

私の好きなゲームである「Simcity」に例えて言うなら、自分が造っている都市が急激に成長しているようなものである。
最初は空き地ばっかりだったのが住宅やビルが建って街らしくなっていく。そこで市長である自分が道路や鉄道などを整備すると、さらに街はそれに応えるかのように発展を続ける・・・。
でも、巨大になりすぎて発展の余地が無くなった街は正直退屈で、つい「新しい街」を造りたくなってしまうのである。

彼女もまた「国民的アイドル」という巨大都市になってしまい、それによって新鮮味が無くなってしまった、と私が感じるようになったのかもしれない。

過去への後悔の念もあるのかも

元々私は過去を引きずる性格なのもあって、いまだに「何故2002年の春ツアーに参加できなかったのか?」とか「何故もっと遠征をしなかったのか?」とか「何故ハワイツアーに参加しなかったのか?」といった自問自答をすることが多い。
もちろん、当時の私も何も考えてなかった訳ではないし、当時は情報や資金の不足などという制約があったことや、それによってチケットが入手できなかったなどはある。でも「何故それを乗り越えようと努力しなかったのだ?」と自分を責めてしまうのだ。

そして、その負い目がある意味でヲタ活動の原動力になる一方、どこか自分自身への負担と言うか過剰な義務感になっているんじゃないかと考える。
趣味にも義務感は必要だと思うが、それが過剰になると「何故自分はこの趣味をしているのだろう」という気持ちに囚われるわけで。

オールナイトが気持ちの離れを加速?

ヲタ熱が冷めた原因の1つに「Let's Do it!!」(以下LDI)から「オールナイトニッポン」(以下オールナイト)への異動も挙げられると思う。

LDIのときは時間も短く、またハコ番組特有の制作方法のため、トークの内容はある程度抑えられていた。
しかし、オールナイトに移行したことでフリートークの時間が長くなり自由度を増したことで、時に彼女が自らのイメージと反する発言をするような場面も見られるようになった。

最初であればそれも新鮮であり、ヲタとしても「彼女の本音を聞ける」ということでうれしかったのだが、それが当たり前のようになるとげっそりするというか、聴けば聴くほど彼女への熱意が薄れてしまうということが起こるようになってしまった。

録音こそずっと続けてきたが、しばらく聴かなかった時期があるのも、そのへんの気持ちによるところが大きいと思う。

3年目の浮気?

もう丸4年になろうとしているが、遅れてきた「3年目の浮気」なのかもしれない。
ここはむしろ、別の娘に興味を持ってみるチャンスなのかもしれない。

・・・そう考える前からあずあずだの相武紗季だのベリだの言ってますが何か?(核爆