ハワイを満喫

娘。さん達との夢のような時間が過ぎ、今日はやっとハワイ旅行らしいことをすることに。
まず、事前に申し込んでいたオプショナルツアーである「アトランティス・サブマリン」。民間用の潜水艦(厳密には「潜水艇」か)で海中を観察するというもの。
ヒルトンの砂浜にある港まで「〓サブマリン」のトロリーバス(実際はトロッコ型のバス)。潜水艦の乗組員の日本語がかなり上手い。日本語でガイドするようになってから日本人客が増えたのか、日本人客が多いから必然的にできるようになったのかは知らないが、よくあるたどたどしい日本語ではない。
港から旅客船に乗って、潜水艦に乗り移る沖合いまで移動。っていうか普通にこの旅客船だけでクルージングツアーできそうなくらいの船。1階でも充分楽しめるし、2階は海風が気持ちいい。しかし、少し波が出ていたのと、普段乗り慣れない船に乗ったからか、船酔いになっていた人はちょくちょく見かけた。実際、普段は酔わない自分も少し気分が悪くなったのは事実。
ガイドは日本語→英語。そりゃ確かに大半が日本人だけど、何も英語を後回しにしなくても・・・。
3ヶ所で浮上してくる潜水艦と落ち合い、前のツアーの人を旅客船に収容しては次のツアーの人を潜水艦に乗せる・・・という要領。この会社はこの3隻以外にも、マウイ島カリブ海方面でも同様に観光潜水艦を持ってるらしい。

潜水艦の乗り心地は、むしろ船より快適だった。耳がツーンとすることもなし。ただ潜水艦内は狭かった。日本人で狭いと感じるくらいだからアメリカ人にはもっと窮屈に感じるだろう。
潜水艦内のガイドは、日本語でジョークが飛ばせるぐらい。顔は完全にアメリカ人なのに・・・。
海の眺めはやはり神秘的だった。ただ、TVで見るように常に視界に魚がいるわけではない。無駄に泳いでいてもエネルギーを消耗し、また外敵に食べられるリスクも増えるので、普段は魚礁に集まっていたりするからだ。実際、この会社が沈めたというタンカーや飛行機(YS-11らしい、もったいない話だ)の人工魚礁のまわりには、魚が多く集まっていた。おい、横の奴!「ごっちん」とか言ってるんじゃねぇよ、俺ですら遠慮して言ってないんだから(爆

潜水艦から船に戻ると、今度はアメリカ人が多数乗っていた。おそらく米本土から来た人だろう。
潜水艦を降りた後、金サンゴをただで見せてくれるというので見に行くことにしたが・・・それはサンゴを使った宝石を売り込むためのサービスだった。途中で気がついたのだが時既に遅し。まぁ、いいものを見せてもらったし、何も買わずに出てきたから問題はないけど。
「ただより高いものはない」は世界的に有効な諺らしい。

とりあえずアラモアナまで送ってもらい、そこから戦艦アリゾナが沈む「アリゾナ記念館」を目指すことに。しかし、ここで大きな問題発生。ガイドブックの地図を読み違え、アラモアナの近くにアリゾナ記念館があると思い込んでいたので、周囲を歩いて調べるなどして大幅に時間を食ってしまい、また市バス「The Bus」でも、勘違いしてかなり手前で降りてしまったのである。
実際はホノルル空港よりまだ西側だったのに・・・。まぁそのときはTransferチケットをもらっていたので、別のバスで現地へ向かったのだが。
ただ、到着したときは、アリゾナが沈んでいるところまで行く船の最終便が出てしまっていたので、近くにある戦艦ミズーリを見に行くことに。
ちなみにアリゾナは日本軍の真珠湾攻撃で撃沈された戦艦、ミズーリは太平洋戦争終結の降伏文書の調印に利用された戦艦。いわば、太平洋戦争での悲劇と勝利の両方の象徴といえる。
ミズーリまでは専用のトロリーバスに乗るのだが、ミズーリバックパックの持込はできないという。やむなく荷物を預け、チケット売り場までダッシュで行ってダッシュトロリーバスに向かう。なぜ荷物預け場の隣にチケット売り場がないか理解に苦しむ。どうせチケットはわら半紙に印刷しただけのものなのに。

さすがにミズーリまでの運転士のガイドはすべて英語だった。ただ検問所では「カメラ・サツエイ・ダメダメダメ」と日本語。・・・たぶん日本人が検問所にカメラを向けてトラブルになったことが多いのだろう(汗
ミズーリのあるところに到着。現地に張ってあった表示を見ると、「ミズーリNGOが管理・運営しており、政府からの補助金は受け取っていません」と。記念艦を民間団体に払い下げるとは・・・。ひょっとすると、日本でいう「財団法人」みたいなものかも。

戦艦は大きいが、船内は狭かった。潜水艦ほどではないのだろうが、ここに1000人以上の水兵が、戦闘という最も過酷な「業務」をするのかと思うと気の毒ですらあった。
甲板の少し広いところに降伏調印の記念パネルはあった。でも、本物はミネアポリスの博物館にあるとかで、今ついてるのは1セント硬貨を溶かして造ったレプリカらしい。アメリカ人って「硬貨を溶かして・・・」って好きらしい。あ、日本で同じことすると法律違反なんで絶対にしないで下さい(by 八嶋君)
司令官室だけはけっこう広々。執務机以外にも、数人と食事できるようなテーブルや応接セットも。それでも船の設計に合わせてるので部屋の形はよくないけど。

現地ガイド(日系人?)の粋なはからいで、トマホークの発射指令室を見せてもらう。なんと、この戦艦は1992年の湾岸戦争まで現役だったという。
総司令官が座る席の前にはアクリルボードがあり、ペルシャ湾の地図が描かれていた。なんでも、このアクリル板の裏側(司令官とアクリル板をはさんで反対側)から、逆さに字や地図を描く専門の兵士がいたという。水森亜土に違いない(嘘
他にもいろいろな装置が置かれていたが正直多すぎて覚えていない。なんでも、1つだけはいまだに軍事機密とかで米軍が取り外したものがあるとか。

艦内中をくまなく回り下艦。ギフトショップもあったが、むしろ興味を持ったのが記念コイン製造機。日本のそれと違い、えらく簡素な造りの機械。イメージとしては日本のガチャガチャより少し大きいくらいか。中の構造がよく見えるようになっていて、いくつもの大きな歯車が見えた。
利用者はまず、好きなデザインをハンドルを回してセットする。次に料金50セント(25セント×2)とメダルとして使う1セントを入れ、右に7〓8回回すと、取り出し口に記念メダルにプレスされた1セント硬貨が出てくるしくみ。
日本でもこういう機械ができたら面白いのに。代金100円くらいと1円玉をセットすると、アルミ製記念コインができるとか。でも八嶋君の言うとおり、法律の壁でできないんだよなぁ。

再びシャトルトロリーバスに乗ってさっきのところへ。ミズーリの停泊している岸壁とアリゾナ記念館(The Busのバス停もここの近く)の間に橋が架かっているが、「自由の橋」とでもいうべきか。日本を破り、クウェートイラクから解放した戦艦につながる橋でもあるし、乗艦勤務が嫌になって脱走する水兵にとっても、渡りきった先に自由があるだろうから(笑

今回ミズーリを見に行って、少しアメリカ人の頭の中が分かったような気がした。アメリカ人はおそらく60年前と同じ発想でイラクアフガニスタンを攻撃したのだろう。そして、降伏させた日本が平和で、世界第2の経済国になるほど繁栄して、しかも親米国家になったのを見て「この方法で独裁国家や『ならず者国家』を更生すればいい」と固く信じているのだろう。
よく「石油利権狙いだ」という人はいるが、国の上層部や経済界はともかく一般の人には、純粋に「日本モデル」で復興・繁栄をさせてあげようと思ってる人もいるのだろう。

ほんとは夕方にもいろいろ行こうと思っていたが、ハロショを少しのぞいただけですぐホテルへ。ネットカフェ、というほど飲み物があるかは知らないが、「インターネット10分$1」というところがいくつかあり、ぜひ使ってみようと思っていたけど行く暇なく仮眠。